さて、M氏を巡るエピソードもいよいよ最終話。
私のイラストレータ生命に息の根止めたM氏の話を書かなければならない時がやってきた……。
思い出すのも辛い事態なのだが、まずは自分がイラストレータになった20年前のエピソードからしようと思います。
私がイラストレータになったころは、雑誌が売れまくっていた時代。
イラストレーションは大ブーム中で、仕事はそれこそ唸るほどあった。
カラー1枚、1まん〜。広告は1ケタ分『0』が増えるのが相場。
人気マンガを連載している出版社は羽振りがよくて、雑誌でもA4くらいの大きさで、40万の値段がついたことがある。
だから下積みといっても、月収で40万くらいはあったので、お金には困らず、都内に1人暮らし。車も持っていた。
ただ無茶苦茶忙しい。
徹夜開けに原稿を持ってデザイン事務所を訪れる時に山手線で1周多めに回りながら、仮眠。その時間が本当に幸せに感じるくらいだった。
肝心の仕事は、できなかった……。
当時、流行っていたのは『ヘタうま』と呼ばれる、うまい人がわざとヘタに描くという、プリミティブな絵。
リアリズム作家を志していた自分にはどうしても、それ風の絵が描けずに苦労した。
ポートフォリオに自分の『本当の作品』と、『今までの実績』を差し込んで売り込みに行く毎日。
毎度『作品』を見たデザイナーから言われることは、
「いい絵なんだけど、使えないなぁ」
そして『実績』のほうから、
「じゃあこれ風で、この雑誌のイラスト描いてみて」
仕事はすぐに決まる。だけど、結局は自分の仕事をしていない。
このままでは使い捨てられて終わりだ……そんなジレンマで頭を掻きむしる日々。
大抵のデザイナーたちはとても親切にしてくれた。
忙しい時間を裂いて、アドバイスをくれ、なんとか私を育てようとしてくれた。
だけど当然、そうでない人もいる。
バブルが崩壊した後といっても、まだまだお金がありあまっている時代。
いかにもチャラそうな、おっさんプロデューサの打ち合わせに指定される場所は、毎度毎度デートスポットのバーだった。
酔ってくれば必ず抱きつかれ、仕事を失わないように、あの手この手で逃げる夜。
若くてフリーランスで、微妙な仕事しかできない女など、恋愛ごっこやエロの対象にしか見られない。
それが悔しくて悔しくて、深夜のタクシーでよく泣いた。
状況がガラッと逆転したのは、26歳くらいの時。
ひょんなことから、中古でパワーMacを手に入れたのだ(G4以前だから、パワーマッキントッシュと呼ぶべきか?)。
初代の私のMacはとても優秀な画材だった。
イラストレータやフォトショップのソフトを覚え、自分はたちまち夢中になっていった。
毎日12時間は平気でMacに向かうので、たちまち肩は石のように硬くなり、慌ててタブレットを買うはめに。
特に私が愛したのは、ストラタというCG制作ソフト。
まずモデリングをして(ハリボテみたいなもの)から、その周りに質感を張っていく。
単なる球体にちょっと指示を入力するだけで、ガラスの玉に変わり、鉄の重みを持ち、鏡となって美しく周囲の風景を移し込む。
まるで魔法だった。
そしてある日、決意する。
あれだけイヤな思いをしても断れなかった手描きのイラストレーションの仕事は全部断った。
2カ月間、アパートで缶詰状態。
試行錯誤を繰り返し、最終的にA4程度にレンダリング。
そのころのMacは処理スピードが遅いので、今の私のマシーン、Mac Proなら数分でできることも、このレンダリングにたっぷり数時間を費やした。
寝るのはこの数時間だけ。
Macに仕事をさせて、自分はその脇で丸まって寝る。
起き抜けに、画面を覗くと、そこには想像した以上の、美しい空間が広がっている。
あの2カ月。
誰にも会わず1人でCG制作に没頭した日々は、間違いなく、自分のベスト5に入る、貴重で幸せな時間だった。
当時、まだ作る人の少なかったCGは、かなり売れて収入がアップ。
同時に、才能のないアナログのイラストを断ったことで、ストレスは激減。
しかも『DTP』を拒否った、デザイナーはどんどん死滅。
その中にはかなりの確立で、私にセクハラをしていた奴が含まれていたので、それは自分には、痛快だったのだ。
「Macが素晴らしい点は、それ自体がイノベーションだっただけでなく、Macを使った人にもイノベーションを起こさせる」
スティーブ・ジョブズは、アジアの片隅でひっそりと生きる、なにも持たなかった女を変えた偉人なのだ。
……と、ずいぶん熱く書いてしまった。元々根っこはウザイくらい熱い奴なので許してくだされ。
で、長過ぎるので、ここで一旦中断。M氏登場は次回です〜。