釣船 湘南 茅ヶ崎 一俊丸

大森で父に会う

 何年か前、とある女友達に、
「実は自分には母親がいない」と告白されたことがある。
彼女は幼い頃に実母と死に別れ、継母に育てられたという。

 よく人が言う、複雑な家庭で育った人はたくさんいるだろうし、もちろんそういった全ての子供が不幸になるって訳じゃない。
だけど残念ながら彼女は家庭内でずっと自分の居場所を見つけらず、結婚した今では実家とは音信不通だそうだ。

 多分彼女がそんな打ち明け話をした時、彼女が背負っている荷を少しでも軽くしてあげられる暖かい言葉をかけてあげられたらいいのだけど、残念ながら私にはそんな才能は皆無だ。

 その時も、そわそわと落ち着きがなくなり、目が泳ぎ、なんだか相手をがっかりさせるようなことしか言えなかった。

 だから、あの時ああ言えばよかったかな? いや、こう言ったほうが…と、いつまでも消化できない、そう、わだかまりって奴が長い間自分の中にゴロンと転がっていた。

 だけど答えは突然今年の夏にやってきた。

 それは8月の終わりに大森で数年ぶりに某編集者と食事をした時のこと。

 編集者は会うなりに、
「ナオ太郎(仮名)の誕生日が近いだろ?
絵本でも買ってあげて」と商品券を私に渡してくれた。

 それに始まり、その夜の彼は実にサービスよく私の文章に対しての貴重なアドバイスを5、6点、業界の重要な情報を3、4点教えてくれた。

 一番嬉しかったのは昔の私の作品をまだファイリングしてると言ってくれたこと。
それは10年ほど前に書いた愚作だというのに、彼の書棚の中で著名人の作品と一緒に保管されていたのだ。

 店を出る時はナオ太郎へのお土産にと、店主に焼きおにぎりまで包ませた。
いただくのは私のほうなのに、彼のなんとも嬉しそうな顔を見て、ひらめいた。

 ああ、そうか、自分はあの時女友達に、こう言えばよかったんだ。

 例え肉親を失うことがあっても、最初からその愛情に恵まれなかったとしても、もし本気でそれを必要とした時はきっとどこからか与えられるって。

↑大森駅での別れ際、
「俺のうちで育てているバラのほうが数段きれいだ!」と豪語しながら『父』が買ってくれた花束。
店中に響くほどの大きな声で2度、3度言うものだから、苦笑のお土産もついた。